Kin3歩 江戸城36見付 

26.和田倉門



和田倉見附門
和田倉門は元和6年(1620)に構築され「蔵の御門」とも呼ばれ、士衆通行の橋とされていた。和田「わた」とは海の名称で「わたつみ」と同じ意義で、日比谷入江に望んで倉が並んでいたことで、慶長12年頃から和田倉と呼ぶようになった。江戸湊からの船荷を道三濠の辰ノ口で荷揚して和田倉で集積保管していた。警備は二、三万石の譜代大名が担当、鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組を常備していた。

和田倉見附門
和田倉見附門
和田倉見附門

和田倉橋
和田倉橋
和田倉橋)
この橋を和倉橋といいます。ここには、かつて江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つ和田倉門がありました。橋を渡った皇居外苑側には枡形石垣があり、橋と一体で門を構成していました。
慶長7年(1602)頃といわれる「別本慶長江戸図」には橋が描かれ、「蔵の御門と云、士衆通行の橋」と記述があります。また、「御府内備考」には、橋の由来が「慶長12年(1607)の頃の図に、ここに和田蔵と称せし大なる御蔵二棟を図せり。是御門の名の起る処なり。(後略)」と記され、蔵があったため門が名付けられたとしています。なお、徳川家康が江戸に入った時、この辺は和田倉という村落であったという説もあります。
和田倉門には、鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組が常備されています。警備は、譜代大名で二万石から三万石の者が担当していました。
この橋は、昔そのままに復興されたものですが、江戸城の門と橋を偲ぶのにふさわしい景観をみせています。 
平成16年(2004)12月 
千代田区教育委員会