Kin3歩 江戸城36見付 

16.神田橋門



神田橋
この橋を神田橋といいます。慶長七年(一六〇二)頃といわれる「別本慶長江戸図」にも橋が描かれ、「芝崎口」と名が記されています。のち、近くに拝領屋敷があった土井大射炊頭利勝に因んで、「大炊殿橋」と呼ばれていました。さらに、神田の町へ出入することから、「神田口橋」・「神田橋」と呼称が変ってきました。
ここには、かって江戸城の守備のために築かれた内郭門の一つ神田橋門がありました。橋を渡った大手町側には枡形石垣があり、橋と一体で門を構成していました。
神田橋門は、寛永六年(一六九二)に、稲葉丹後守正之によって構築されました。この門を通る道筋は、将軍が菩提寺の一つである上野寛永寺へ参詣する御成道にあたりますので、厳重な警備がされていました。鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組が常備され、外様大名で七万石以上の者、あるいは国持大名の分家筋で三万石以上の者が、警備を担当していました。
現在の橋は、大正十四年(一九二五)十一月架設、長さ十七.三m幅三四mです。
平成一八年九月 
千代田区教育委員会

神田橋
神田橋説明板
神田橋
神田橋
神田橋