新坂 目黒区
目黒区の新坂は、権之助坂、新道坂と呼ばれているが新坂の一つとして記憶しておきたい。そんな気持ちでここに記した。 権之助坂(新坂) 目黒区目黒1と下目黒1の間 権之助坂由来: 江戸中期、中目黒・田道にいた名主・菅沼権之助が村人のために年貢の取立てを緩めてもらおうと訴え出たため、罪に問われて死罪となってしまいました。刑に処せられる権之助は、当時「新坂」と呼ばれていたこの坂の上から我が家を振り返り、刑場に引かれていったそうです。村に尽くした功績をたたえて、この坂を「権之助坂」を呼ぶようになったと云われています。 また一説では、当時の道路(前述の「目黒道」)は江戸市中から白金を通り、行人坂を下って太鼓橋を渡り大鳥神社に抜けていましたが、行人坂があまりに険しく通行人が難儀していました。見かねた権之助が私財を投じて新しい坂を切り開きましたが、当時は江戸城を守る観点から勝手に道を作ることが禁じられており、権之助は事前に許可を取らなかったために、罪に問われて死罪に処せられたとも云われています。
新道坂 目黒区上目黒1と中目黒1の間を南へ下る 新道坂: 目黒区の上目黒1と中目黒1の境の駒沢通りを、鎗ヶ崎信号地点辺りから大きく左へ曲がり、目黒川へ向って南下している坂です。 坂の傾斜は緩やかです。 坂の名の由来: 坂名は、 別所坂と目切坂の間に新しく開かれたため、 新道坂と呼ぶようになった。 線路ぎわの狭い坂が旧道である。
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