暗闇坂

都内の「暗闇坂」を歩いてきました。
晴れた天気の良い日の週末や祝日の日を中心にして散策しました。
その方がさびしそうな場所らしいので人出もあるのではないかと!。
ですが、誰もいない。
誰とも行き会わない。そんな暗闇坂もありました。

暗闇坂とは、こんな処ではないかと思います。
日が暮れて夜の闇が落ちて来ると、すっーと湧き出すのが魔物や狐狸妖怪達です。暗闇にづっーと潜み、獲物を待ち伏せる”物”の中でも、一番恐ろしいのが仲間を食らいつくす魔物が人間です。
夜の闇が恐怖と慄きを呼び起こすのは、人、誰もが受け継いできた生きるための防衛本能ではなかろうか。
昔、昼さえ暗い坂道を人々は、暗闇坂・闇坂・日無坂・幽霊坂・・・などと呼んだそうだ。
暗闇坂の説明板には「昼間でも暗いほど鬱蒼と樹木が茂り、狭い坂道に覆いかぶさっていた」や「暗く見通しの悪い急な坂道で、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂」だから、と書かれていた。

都内の暗闇坂

1.文京区白山の暗闇坂 白山5丁目の東洋大・京華女子高校の裏側。
2.文京区弥生の暗闇坂 文京区弥生2丁目と本郷7丁目の間にある坂。
3.文京区上野の暗闇坂(清水坂) 台東区池ノ端2(上野公園と池之端の間)。
4.新宿区愛住町の暗闇坂(暗坂) 新宿区愛住町 19と23の間。
5.新宿区須賀町の闇坂 新宿須賀町11と12の間の(坂松巌寺と永心寺の間)。
6.新宿区市ヶ谷の闇坂(芥坂) 市ヶ谷砂土原1丁目と市ヶ谷鷹匠町の境。
7.港区元麻布の暗闇坂 港区麻布十番2丁目から元麻布3丁目方面に上る坂。
8.目黒区上目黒の暗闇坂(目切坂) 目黒区青葉台1丁目と同上目黒1丁目の境界。
9.北区西が原の暗闇坂 本郷通りを西ヶ原交差点から南に下る坂です。
10.豊島区高田の暗闇坂(宿坂) 豊島区高田1-18、35、36辺り、坂下に金乗院。
11.大田区山王の暗坂 山王2丁目12番と3丁目31番の間を北西に上がる坂道。
12.品川区南品川の暗闇坂(旧仙台坂) 品川区南品川5丁目と東大井4丁目の間の坂。

13.横浜:暗闇坂 横浜市西区戸部


文京区弥生の暗闇坂
弥生の暗闇坂
文京区弥生2丁目と本郷7丁目の間にある坂。

石垣の連なる側が東大になります。

文京区白山の暗闇坂
白山の暗闇坂
坂の上から
白山5丁目の東洋大・京華女子高校の裏側。
今は家と家の間の急坂で、車は遠慮した方がよさそうだ。

文京区上野の暗闇坂
清水坂標識 右側

暗闇坂と書かれている
上野の暗闇坂(清水坂の表示がある)
台東区池ノ端2で上野公園と池之端の間

車の通行はあるが、普段、人の姿は稀です。
この日は祝日で、根津神社の祭日です
坂上から

新宿区の暗闇坂

夜の新宿ネオン街。何故かせつない小ぬか雨。
暗闇坂散策は長雨の晴れ間と五月晴れで噴き出す汗に、風薫る午後に歩いてきました。
新宿の暗闇坂は、大通りからちょっと外れた静かな処に今もあります。
坂道を歩く人の姿は稀で、大概は誰もいない。
昼の影が短く足元にまとわりついて、一層静かさが増すようでした。

新宿区愛住町の暗闇坂(暗坂)
新宿の暗闇坂

新宿区愛住町 19と23の間
標識には、四谷北寺町へ出る道で、坂の左右に樹木が茂って暗かったためこの名がついた(再校江戸砂子)。
別名「くらがり坂」ともいう(江戸名勝志)

階段になっている
階段の右へ坂が続く

新宿区須賀町の暗闇坂(闇坂)
須賀街の暗闇坂

新宿須賀町11と12の間の(坂松巌寺と永心寺の間)
この坂の左右にある松厳寺と永心寺の樹木が繁り, 薄暗い坂であったためこう呼ばれたという。
また,松厳寺の俗称が茶の木寺であるため, 茶の木坂とも呼ばれた。

標識:平成7年8月
新宿区教育委員会

新宿区市ヶ谷の闇坂(芥坂)
芥坂 ごみざか
闇坂とも呼ばれていた。

市ヶ谷砂土原1丁目と市ヶ谷鷹匠町の境
歩道橋側から、坂の上方向。
東側から西へ坂を下ると歩道橋になる。
この歩道橋は日本印刷工場の上またいでいる。
昔は歩道橋下の日本印刷へ直接下る坂道が続いていたのではなかろうか
芥坂 ごみざか

暗闇坂の標識は無いが、歩道橋に芥坂歩道橋とある。

江戸時代のごみ処理も、現在もごみ問題では同じように大変な事業である。
だから、暗闇にまぎれてごみ放棄をしてはなりません。ょ!


目黒・豊島・北区の暗闇坂
今回の坂は、目切坂、宿坂や大炊介坂で、「暗闇坂」とは直接呼ばれていない。けれど昔は「暗闇坂」と呼ばれていたように、昼なお暗い・さびしい・怖い坂道だったのだろう。
そんな思いをちょっと胸に止めて、週末・祝日の賑やかな晴れた午後を選んで散策しました。

目黒区上目黒の暗闇坂(目切坂)
上目黒の暗闇坂
目黒区青葉台1丁目と同上目黒1丁目の境界

暗闇坂のことに触れている「地蔵・道しるべ」の標識
坂上の地蔵堂の標識に暗闇坂の名があります。
標識に、地蔵堂背後の坂道は、目切坂または暗やみ坂といい、この坂道を下って目黒川を渡ったあと、南へ進むと祐天寺方面に達し、北へ進むと大山道(国道246号)に達します。また,堂前を進むと並木橋に達します。

(渋谷区教育委員会)
暗闇坂

坂下に目切坂の標識がある。
坂下の「目切坂」の標識には、暗闇坂について何も書かれていません。

坂上の地蔵・道しるべに暗闇坂について書かれている。

豊島区高田の暗闇坂(宿坂)
「宿坂の関」は鎌倉街道の道筋にあったものといわれ、したがって、ここ宿坂はその街道上の地名と考えられる。古地図によると、鎌倉街道は現在のこの道より、やや東寄りに位置していたが、一応ここも鎌倉街道の名残りといえよう。
今から三百年ほど前、このあたりには樹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみの坂道として狐狸の類がとびはねて、通行人を化かしたなどという話もいまに伝わっている。
豊島区高田の暗闇坂
豊島区高田1-18、35、36辺り、坂下に金乗院。
目白通りから今乗院までを下る緩やかな長い坂です。
今乗院門前の標識に、中世の頃、「宿坂の関」と呼ばれる所が、このあたりにあった。この坂の名が、宿坂道と残っているのは、おそらくそれにちなむものと思われる。
今乗院側から坂上方向。

今乗院には、目白不動がある。
この目白不動の他に、目黒・目赤・目青・目黄の五つのお不動様を「五色不動」と呼んでいる。

北区西が原の暗闇坂(大炊介坂・宮坂)
北区西ヶ原の暗闇坂

本郷通りを西ヶ原交差点から南に下る坂
大炊介坂は、駒込駅前の本郷通りを王子方面への坂を下り、霜降橋交差点から西が原交差点へ上がる坂で、旧古河庭園の石垣が北側に続く。
坂上部には大炊介坂の標識がある。

現在は、本郷通りの広い坂の車道には、暗闇坂の名残はない

港区麻布の暗闇坂
坂の町、麻布。大黒坂を上って、一本松のところで出合う坂に暗闇坂がある。
暗闇坂という名は、昼なお暗いことからきている。
その暗闇坂界隈に不思議なうわさが立ちはじめた。幽霊が出るというのである----。
耳袋秘帖 麻布暗闇坂殺人事件 (だいわ文庫) (文庫) 風野 真知雄 (著)

麻布十番の繁華街中心の広場に建つ「きみちゃん像」から、西への道が坂となり、西南へ曲がるあたりで急になると「大黒坂」の標識がある。
大黒坂を上がると一本松坂・狸坂・暗闇坂に出会う。
暗闇坂は北から北東へ曲がりながら下る急な坂で、麻布十番繁華街さらに鳥居坂下交差点へつながる。

暗闇坂といっても、坂を上り下りするだけで特に面白いものなど無い。
坂は、坂の上と坂下をつなぐ道で、時の流れが加わると時代毎の歴史が浮かび上がる。歴史の中に、坂の上・坂の下に住むようになった、人々の生き様・生活がちょっと見えたような。
そんな小難しい事はさておいて、暗闇坂という名前に興味を持っていた。
その名を街中の坂でふと目にした。暗闇の名前から、恐れ・それを見たい・知りたい。その興味が散策するきっかけになりました。

麻布十番は、更科そばの本家(三店)が競っている。(港区の蕎麦屋さん:右:昼そば食べた:minato)。
他に、鯛焼き・豆源・コーヒ店などに沢山の人々の笑顔が見えます。加えて麻布七不思議散策も面白い。!・・。

港区麻布の暗闇坂
坂・上部の標識

港区麻布十番二丁目から元麻布三丁目方面に上る坂
暗闇坂の名前の由来は、昼間でも暗いほど鬱蒼と樹木が茂り、狭い坂道に覆いかぶさっていたからといわれる。
暗く見通しの悪い急な坂道。
樹木の生い茂った 薄暗い寂しい坂であったのであろう。
江戸の庶民は, 単純明解に このような坂を 暗闇坂 と名づけた。
暗闇坂下部
左へカーブして登って行く

大田区山王の暗坂(くらやみざか)
闇坂(くらやみざか) むかし, 坂側に八景園という遊園地があり, その反対側に加納邸があって, この坂道は細く曲り, 八景園の樹木がうっそうとおおいかかり, 広間でも暗かったために, この名がついたといわれている。
大田区山王の暗坂

山王の暗坂:山王2丁目12番と3丁目31番の間を北西に上がる坂。

闇坂上の標識のある場所から坂下方向:坂は右へ曲がりながら下って行く。
闇坂を坂下から上がって行く:坂道は左へ曲がり、さらに上がって行く。

品川区南品川の暗闇坂(旧仙台坂:きゅうせんだいざか)
品川区南品川の暗闇坂

南品川の暗闇坂(旧仙台坂):
品川区南品川5丁目と東大井4丁目の間の坂
闇坂の坂下方向:

京浜急行の方向に下る坂道で、車道(トンネル)の上の歩道になる。
闇坂の坂上方向:

大井町駅方向で、車道がトンネルでその上は花のある広場の歩道になっている。


横浜市西区の暗闇坂

島田荘司著 暗闇坂の人食いの木の(文庫の帯には)
さらし首の名所の暗闇坂にそそり立つ樹齢二千年の大楠。この巨木が次々に人間を飲込んだ?
近寄る人間たちを狂気に駆り立てる大楠のなぞとはなにか?。
ここは、人食いの木ではなく、暗闇坂の風景を記述します。

本文を斜め読みから、
横浜の暗闇坂といえば、江戸の鈴ケ森、小塚原とならんで有名な晒し首の名所だからね。と、御手洗が薄気味の悪いことを言う。・・・
坂の中途左側に、ぽつんと小さな石の碑が立っていて「くらやみざか」と彫ってある。
・・・碑を少し過ぎた右手に、まるで城跡のように、黒々とした石垣が立ちふさがった。
・・・その石垣の上にそびえているのが楠の巨樹で、人食いの木である。

島田荘司著 暗闇坂の人食いの木に誘われて、横浜戸部の暗闇坂へ来ました。
戸部駅近くで、旨いと評判の蕎麦屋良庵でお昼を食べ、散策しました。

暗闇坂を一度下まで降りて、坂下から左側を上ります。
中程を過ぎた左側に、ぽつんと小さな石の碑があって「くらやみざか」と刻まれている。右手に黒々とした石垣も、小説に書かれているような、それらしいものが今もあります。人食いの木はありません。
暗闇坂
ぽつんと小さな石の碑に「くらやみざか」とある。

横浜市西区西戸部3丁目と伊勢町3丁目の間

暗闇坂上から

暗闇坂の午後は、人通りが稀でした。

暗闇坂