江戸五色不動 2


目黒
目黒不動=滝泉寺(りゅうせんじ)・・・目黒区下目黒3−20

不動明王を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれる。江戸五色不動の一つ。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もある。
関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて日本三大不動の一つに上げられます。


目白
目白不動=金乗院(こんじょういん)・・・豊島区高田2−12

不動堂は元和四年(1618)に小池坊秀算によって建立され、東豊山浄竜院新長谷寺と号した。本尊の不動明王像は目黒、目赤などの五色不動のひとつであり、目白の号は寛永年中(1624〜1644)に三代将軍徳川家光の命によるといわれる。墓地には丸橋忠弥・「青柳文庫」の青柳文蔵などの墓があり、他にも庚申塔などが多く見られる。東京都豊島区教育委員会

目白不動像


目赤
目赤不動=南谷寺(なんこくじ)・・・文京区本駒込1−20

寛永年間(1624〜44)、鷹狩りの途中、動坂の赤目不動尊に立ち寄った三代将軍家光から、現在の土地を賜わり、目赤不動尊とせよとの命を受け、この地に移った。それから目赤不動尊として、いっそう庶民の信仰を集めたと伝えられている。不動明王は、本来インドの神で、大日如来の命を受けて悪を懲らしめる使者である。剣を持ち、怒りに燃えた形相ながら、お不動さんの名で庶民に親しまれてきた。文京区教育委員会

目赤不動尊
目赤不動尊


目青
目青不動=教学院(きょうがくいん)・・・世田谷区太子堂4−15

寺は慶長九年(1604)玄応和尚の開基により、江戸城内紅葉山に建てられたという。後、明治四十一年(1908)青山からこの地にうつされた。本尊は阿弥陀如来で恵心僧都の作と伝えられる。また、不動堂の目青不動は東都五色不動(五眼不動)の一つとして有名である。境内には相州小田原城主大久保家歴代の墓、南画家岡本明暉、その子書家岡本碧巌等名家の墓がある。世田谷区教育委員会

目青不動堂
目青不動尊


目黄
目黄不動=永久寺(めきふどう)・・・台東区三ノ輪2−14
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目黄不動は、江戸五色不動の一つとして知られている。都電三ノ輪橋か日比谷線駅を利用すれば、駅前となる。
台東区教育委員会


目黄不動堂
目黄不動尊


目黄
目黄不動=最勝寺(めきふどう)・・・江戸川区平井1−25

目黄不動は2つある。平井駅から15分程の江戸川の防波堤の下に建つ。










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