東京23区の富士塚
下谷坂本富士 台東区

下谷坂本富士 小野照崎神社境内
所在地: 台東区下谷2-13

下谷坂本富士 
小野照崎神社境内
下谷坂本富士
普段は扉が閉まっている。
下谷坂本富士

小野照崎神社
入口
小野照崎神社
本殿
下谷坂本富士
浅間神社 この碑の裏側に塚がある。
下谷坂本富士

下谷坂本富士 小野照崎神社 入口

下谷坂本富士 小野照崎神社本殿
下谷坂本富士 小野照崎神社
浅間神社裏が富士塚
下谷坂本富士
6/30,7/1日の山開きの日は、登山が出来る。案内・世話人が付添してくれます。
下谷坂本富士
入口
下谷坂本富士
正面からジグザグに登り、山頂からは右側の山道を下ります。
下谷坂本富士
4合目から頂上を
下谷坂本富士
下谷坂本富士
9合目と山頂
下谷坂本富士
9合目と山頂
下谷坂本富士
山頂
山頂から入口
山頂から入口
下谷坂本富士
下山路
下谷坂本富士

下谷坂本富士
行の行者祠
浅間神社
下谷坂本富士
入口に2体の猿像
下谷坂本富士
入口に2体の猿像

小野照崎神社本殿
小野照崎神社
小野照崎神社
浅間神社
下谷坂本富士塚
下谷坂本富士
下谷坂本富士塚の碑

下谷坂本の富士塚
 この塚は模造の富士山で、文政十一年(1828)の築造と考えられている。『武江年表』同年の項に、「下谷小野照崎の社地へ、石を畳みて富士山を築く」とある。境内の”富士山建設之誌碑”によると、坂本の住人で東講先達の山本善光が、入谷の住人で東講講元の大坂屋甚助と協議して築造し、富士山浅間神社の祭神を勧請したという。
 東講は富士山信仰の集団、いわゆる富士講の一。富士山信仰は室町末期頃に起り、江戸時代中期には非常に盛んになり、江戸をはじめとして富士講があちこちで結成された。それにともない、模造富士も多数築かれ、江戸とその近郊の富士塚は五十有余を数えるに至った。しかし、いまに伝わる塚は少ない。
 ここの富士塚は高さ約五メートル、直径約十六メートル。塚は富士の溶岩でおおわれ、東北側一部が欠損しているものの、原形がよく保存されている。原形保存状態が良好な塚は東京に少ないので、この塚は貴重である。昭和五十四年五月二十一日、国の重要有形民俗文化財に指定された。

平成六年三月  台東区教育委員会