東京23区の富士塚

身禄行者の墓 文京区

身禄行者の墓 文京区  海蔵寺
所在地:文京区向丘2-25-10 海蔵寺

身禄行者の墓 海蔵寺


身禄行者の墓 海蔵寺
身禄行者の墓 海蔵寺

海臧寺本堂
身禄行者の墓 海蔵寺

海臧寺本堂
身禄行者の墓 海蔵寺
身禄行者の墓 海蔵寺

身禄行者の墓 海蔵寺

身禄行者の墓 海蔵寺

身禄行者の墓 海蔵寺

身禄行者の墓 海蔵寺

横から撮影
身禄行者の墓 海蔵寺

塚の周りの石像
身禄行者の墓 海蔵寺

塚横の石碑
身禄行者の墓 海蔵寺

説明板

身禄行者の墓

 身禄行者(寛文11年〜享保18年・1671〜1733)は、食 行行者ともいい、江戸庶民を中心にさかえた富士信仰の中興の祖として知られた人。
 庶民の苦しみを救おうと、富士山七合五勺の烏帽子岩近くの石室で断食入定(食を断って死ぬこと)した身禄の教えは、広く庶民の信仰をあつめた。身禄行者の骨が分骨埋葬されたといわれる墓の墓碑は、富士山をかたどった溶岩の山上に建てられている。左にある「参食行身禄狗」とある小さな墓は初めの墓である。
 ちなみに富士信仰は「富士講」として組織され、江戸市中の寺社境内に「小富士」が築かれた。区内にある「富士神社」は今に残る富士信仰の史跡である。

郷土をはぐくむ 文化財

東京都文京区教育委員会 平成2年3月